ミツバチのハイテクマンション

                                       阿部 宏

 「ニホンミツバチにアルミ製のマイホームを--盛岡市若園町の「日本在来種ミツバチの会」が、
その名の通りハチの巣状の航空機用機材・ハニカム(honeycomb)を使い、人工巣作りの実験を
している。」4月27日、朝日新聞夕刊の記事です。 この記事のタイトルは『ミツバチに”ハイテク”
マンション』、ハニカム素材をミツバチの巣に利用しようというもの。?と疑問に思う向きもおられる
でしょう。ここでミツバチといっているのはニホンミツバチのこと。西洋種のミツバチでは人工の巣
箱は当たり前のことですが、在来のニホンミツバチの場合、巣は不定形で壊れ易いうえ、巣箱の
木枠を噛み破ってしまい、うまくいかないのだそうです。養蜂用に飼われているミツバチはほとんど
が西洋種のミツバチというのが実状です。

 人間がミツバチを利用するようになったのは5000年以上前からのことで、エジプト王の墓から蜜が
発見されている。聖書にも蜂蜜はしばしば登場します。 日本では「大和の三輪山に百済の太子が
ミツバチを放ったが育たなかった」と『日本書紀』にあるそうで、これは皇極天皇のころで、7世紀の
こと。
日本で本格的に養蜂が行われるようになったのは明治の初めで、明治40年頃まではニホンミツバチ
を使っていました。その頃の採蜜方法は、蜜のたまった巣を切り取り、押しつぶして採るというもので
した。
採蜜の画期的な方法を見つけ出したのがアメリカのラングストロスという人で、「ミツバチの巣を木の
ワクのなかでつくらせ、蜜がたまったら、ワクを自由に取り出し、ハチをふるい落として遠心分離器に
かける。」という近代的な養蜂技術でした。

 洋種ミツバチと、改良された巣箱を使う近代的な養蜂を日本に定着させたのは、昭和62年に黄綬褒
章を受け、ロイヤルゼリーを商品化したことでも知られる岐阜県の養蜂家、渡辺寛さんで、小笠原島
にあった洋種ミツバチ(イタリアン種)を手始めに、数年かけて定着させたのです。 現在はこの種と
在来種との雑種が飼われています。渡辺さんによれば、「日本ハチは温和で勤勉だが“根性”がない。
生活環境が変化すると巣を捨てて逃げてしまう。これに比べて西洋種は、周りに花がなくなっても巣を
守る。」ということだそうで、西洋種の導入と新式養蜂は当時の採蜜量を一気に10倍に引き上げました。
渡辺さんは大変な勤勉家で、巣箱を改良し、日本中を素早く転地して蜜を集めることのできる転地用
巣箱(明治40年:発祥の地をとり岐阜箱と呼ばれる)を作ったり、ムダめしを食うハチの産みすぎを防ぐ
女王バチ用産卵調節器具(昭和8年)などを作ったりしています。また養蜂に関する蔵書は岐阜市の
渡辺養蜂場に1万冊の「養蜂図書館」となっているそうです。
しかし、洋種ミツバチの導入は新たな問題を生んだのです。それはミツバチの巣を襲うスズメバチ
でした。西洋にはいないスズメバチに巣を襲われると、西洋種はその恐ろしさをを知らないため、全滅
するまで戦ってしまいます。
 その点、ニホンミツバチは逃げてしまうか、スズメバチを幾重にも包囲し、さながらハチの団子という
状態にして、中のスズメバチを自身は安全な40数度もの熱で蒸し殺してしまうという荒技を使ったり
します。 渡辺さんはスズメバチに手を焼いたようで、大正初めから研究し、昭和37年、78歳のとき
「スズメバチ捕獲器」の決定版を完成させたそうです。
 「日本在来種ミツバチの会」が西洋種から養蜂の主役の座を奪回するため、何かないかと捜している
うちに出会ったのが、直径が5ミリほどの六角穴で、巣壁の厚さも0.1ミリと本物の蜂の巣に近い『ハニ
カム素材』でした。 ハチの巣を溶かした蜜ロウでアルミのハニカムに薄い皮膜をかぶせ、巣箱に入れる
と、10日もすると、たっぷりミツをため、もっと巣穴を深くしようとハニカムの上で自分たちで巣を盛り上げ
はじめることが分かったそうです。
 アルミハニカムは航空機の機体の一部や床、ヘリコプターのローターなどの強度を高めるため、板材の
間に挟みこまれており、また通信衛星などの軽量化を要求される構造材としてもふんだんに使われて
います。 「巣が金属でも抵抗ないようだ。ハニカムはハチから教えてもらった。今度はハチが利用する
番だ。あとはコストの問題だけ。」 3年前、日本古来の貴重なハチを保護しようと発足した同会の藤原誠太
会長の談話が記事に載っていました。 --ミツバチは春、貨車に積み込まれて鹿児島に運ばれ、3月に
開のナタネ、4月初めにはレンゲの蜜を集め、その花が散る4月上旬、岐阜、富山に移動してレンゲ。1カ月
余り働き、6月上旬、十和田の湖畔はトチノキ、アカシアの蜜を集める。本州に蜜源植物が乏しくなると、
津軽海峡を越えて、クローバー、シナノキ、おそまきのナタネを求めて北海道へ。それが過ぎるとソバ、ハギ。
秋が来ると、郷里の岐阜に引き揚げる。そして冬の間はハチは蜜を食べながら越冬する--と日本中を
旅した採蜜世界一を誇った渡辺さんの転地養蜂も、いまでは岐阜県内での転地となったそうです。

 時代の流れは養蜂の姿を変え、蜂の種類も、巣箱の材料も変えようとしています。戸外で無心に蜜や花粉を
集めるミツバチの姿を見かけたら、人類に甘い蜂蜜を何千年ものあいだ与え続け、果樹の受粉を助けてくれ
た働き者のミツバチに感謝すると共に、彼らと我々の未来にも思いを馳せてみたらいかがでしょう。

参考資料:朝日新聞夕刊 1989年4月連載 蜂びと:(昭和にんげん史)]
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Copyright © 阿部 宏

本記事は、阿部宏氏のご好意により掲載させていただきました。無断転載はお控え願います。

*日本ミツバチの会: https://www.nihon-bachi.org/havinghachi/index.html
*渡辺養蜂場: https://watanabe38.com/shop/


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